何だかなあ 散文

達成感の後の虚無感は激しい。
昨日4時間かけて物理のレポートを書き上げた。他の科目も勉強しようと思っていたので焦りを感じた事もあったが、何とか10時に終わらせた。終わった時にとても不思議な感情を覚えた。
「何だか、寂しい。」
何故だろう?
僕にとってこのレポートは、選手名鑑を書く事の何倍もの労力を使い、相当な注意を計り、やりたい事を我慢して作り上げた言わば「忌み嫌う」ものだった。それが終わったのだから普通は「ヤッター」という達成感が先行する筈。なのに、何故が。
同じような感情を覚えた事が二度ある。受験が終わった時と、中3の定期演奏会の後だ。この二つについて共通するキーワードはこれ。

「人生の何割かを本気になって費やした」

つまり、全神経を費やして取り組んだ物には、それ相応の達成感を得られるが、それだけの「人生の消費」を代償にしているので、寂しさという形での虚無感を感じるのではないだろうか。

そういう意味では、我々は人生という「全てを消費する」事をしているのかもしれない。そしてその「消費」からは逃げられない。

今日も明日も、明後日も。